gauloisの日記

随想その他

巖谷國士-「シュルレアリスムとは何か」より第二章-メルヘンとは何か 続き

(続き)

 おとぎばなしでは人間の心理のこまかいところが反映しないように語られている。なぜなら、おとぎばなしは個人が作ったものではないから。

 おとぎばなしと似たものに、神話というものがある。これは天地に起こったことだったり、民族とか国の発生(起源)なんかを書くことが多い。日本の「古事記」に書かれているお話もほとんどが神話でしょう。それは根源を説明するためのお話であるわけだから、事実だけを書く。

 おとぎばなしは神話などとは全く別物。まず、主人公に名前がない。シャルル・ペローの「サンドリヨン」というお話がある。日本ではシンデレラ、なんて呼ばれているね。これはもともと、フランス語でサンドリヨン(Cendrillion)というと「灰まみれの少女」という意味。英語になおすときに、ash(灰)だとへんな感じがしたのかな。cinder(燃えかす)から派生してシンデレラ(Cinderella)としてしまったみたいだ。もちろんシンデレラは名前ではない。家でいじめられて、灰にまみれている女の子ならだれでもいい。

 おとぎばなしって聞くと、わりと北欧やヨーロッパのイメージがある。特に北欧ではおとぎばなしを研究する伝統があるらしい。あっちのほうは夜が長いんだ。それと関係があるのかな。

 おとぎばなしには名前が出てこないと言った。地名や名前、つまり固有名詞があらわれない。おとぎばなしでは、語り出しからして時代も場所も決めていない。

 「むかしむかしあるところに」なんて言いますよね。時間も場所も決めないではじめちゃうんだから、ほんとうに不思議な文学だ。しかしそれが魅力でもある。

 もうひとつ、おとぎばなしと似たものに寓話がある。「アリとキリギリス」なんかが分かりやすいから例として話します。アリは毎日一生懸命に働くけれどキリギリスはいつも怠けていてあとで損をする、ってお話でした。寓話はほとんどの場合、教訓を与えることを目的とします。

 しかし、おとぎばなしには本来、教訓などありません。17世紀のフランスでは教訓をつけることが流行っていたんで、ペローは伝統にしたがって付け加えただけ。それも、詩というかたちで。そういう意味で、やっぱり寓話とおとぎばなしは違うんですね。

 ここまで読んで、少しはおとぎばなしのことが分かってきたと思う。作者がいなくて、自然に生まれ、世界のあらゆる国に似たようなお話があり、時代もわからない、場所もわからない、主人公の名前すらわからない。それにもかかわらず、読むとなぜかどこかで聞いたことのあるような感じがする。懐かしいような、何か大事なことを教えてくれているような感じがする。

 そりゃそうです。どこの国の誰ともわからない人たちが仲間内で語ったお話が、形を変え何百年もかけて現世に伝わっているのだから。

 久々に絵本でも見てみようかな。これをきちんと読んだ人なら、おとぎばなしへの見方が変わるよ。きっとね。